独歩の独り世界・旅世界

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後悔日誌  不届き者の逃亡? ‥というタイトルで3ヶ月前に書いた記事を本日(7/20)公開します

ちょうど二週間前の今日、3月31日水曜日の朝、わたしは東京駅からバスに乗って関東脱出行を敢行いたしました。コロナ以前ならこんな大げさなタイトルにはならなかったと思いますが、世が世ですから事前に口外していたら(ここに事前告知でもしていたら、ま、わたしのブログで炎上は起こりえないと思ってますが)非国民さながらの非難の嵐が起こっていたかもしれず、一人の知人にその話をしただけで、わたしはひそかに行動を起こしました。それはたった五日間の短い旅で、いつものことながら内容は薄っぺらの旅録に過ぎないのですが、二週間を待って公開することにした次第です。

もちろん二週間をおいたということは、有事の際はその間に症状が出るとのことだったので、一応待ってみて、もし保健所のお世話になるようなことになったら、このブログの公開はなかったと思われます。おかげさまで、というか、もちろん極力密にならないよう他人との接触は避けた行動もいつもながらのこと、しかし、その時すでに大阪が危険な状態になっていました。むしろ大阪以外の地はわたしの住まう首都圏よりははるかに安全地帯、わたしは昨年もコロナ禍に二度四国を訪れていますが(ま、タマタマであったにせよ)四国お遍路は誤解を恐れずに言えばコロナ禍での安全な旅先と決めつけているところがあります。それは繰り返しになりますが、タマタマそうであっただけということを承知しているので、タイトルにもうたったように世間的には通用しない、単なる不届き者の無謀な、自分勝手な行動とみられても反論の余地はありません。誰もがもう限界にきておりますが、いましばらくは自粛&辛抱は必要な時期であることも認識しております。わたしのような忍耐力のない不届き者は、自分が感染したらその時はそのときという自業自得意識を持って行動してますが、やはりどこでどうなるかということが全く見えないということでの緊急事態ですから、その時は自分がかかるだけでなく、感染を拡げてしまう可能性は多大にあるので、やはり軽率の誹りは免れません。結果は何事もなかったとしても決して許されることではなく、こんなブログを書いてること自体が、もはやお話にならないバカ者、非国民のなせる業といわれても仕方がないと思っています。わたしは自分の行動を正当化できる理屈を何ももってなかった、それでも行ってしまった、ではなぜそれでも出かけようと思ったのか?うーん、それを思うとやはり書けなくなります。なので今回は非公開ブログとしておきます。以下は、非公開備忘録として、概要だけの記述とします。

 

3月31日 8:10発のJR関東のバス、グラン昼特急3号京都駅烏丸口行(¥3920  3/4 CCにて) 快適なバス旅、座席2Fの2Bだったが、最前列が空いていたので、東名川崎から最前列1Bに移動、ところどころ写真撮りながら(これがほとんどボケた写真ばっかりだった)、桜もところどころ~

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東京駅八重洲南口からは関西方面だけでなく、各地への昼行便夜行便の高速バスが発着している

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東名を走るのは何年ぶりだったろうか?

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しかし豊田から名古屋~四日市を通って鈴鹿を抜けていくの新名神は初めて通った。

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途中、足柄SA 浜名湖SA 甲南PAでトイレ休憩(なお2階建てバスにはもちろんトイレもついている)、2Fの特等席からの眺めを満喫しながらのバス旅は、20分遅れたが16時半京都駅着。わたしのような急がない旅人には、8時間強かかったが安くて快適な移動手段と思えた。もちろんだからあえての選択だったが、その時の乗客は若い人ばかりだったが、14~5人というところだったか?

京都駅には、知人のK先生が出迎えてくれ、彼の自宅のある京都伏見まで電車で、伏見は有名な酒蔵のある街で、酒蔵の多くはマンションに変わってしまったと、それでもまだ機能している酒造工場の残る伏見の街を説明しながら案内してくれた。その本社工場直営の店『月の蔵人』おいしいお酒をご馳走になる。

 

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 月桂冠の直営店で、歓待してくれた友人のK教授

 

そこから彼の家は7~8分だったがその間にはもう一社有名酒造の酒蔵、そして名跡を通って旧家の名残りを漂わせる彼の家へ、そこでまた奥様から歓待を受け、夜遅くまで旧交を温めることができた。

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4月1日 翌日も朝から豪華な朝食をいただいてから、彼の案内で伏見の街見物、まず寺田屋、伏見湊、三栖閘門、十石船乗り場、月桂冠旧本社と、出かける前少し桜の時期を外してしまったかと心配したのが取り越し苦労だったかのように桜が満開で誠に美しく咲き誇っていた。

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月桂冠旧本社 

 

その界隈から今度は少し山の手に向かい伏見桃山城へ、そこからいったん下って京阪電車伏見稲荷へ(ここもわたしは未訪の地だったので)、その見学を終えたあたりで昼食の時間となり、ま、昼食はご馳走させてもらって(どこぞ良い飯屋があるか知らなかったが、たまたま入った蕎麦屋さんが思いのほかうまかった)一応京都の予定は終了、帰りの電車で彼は伏見桃山駅で下車、そこで礼を言って別れた。わたしはそのまま(京阪電車で)これも未訪の地であった石清水八幡宮に寄り道して、そのあと大阪にでた。大阪は全く右も左もわからないところで、別の友人が西宮から駆けつけてくれるはずだったが、急激な感染者の増加で今や危険地帯となっていたため、無理にでてこなくてもいいと断った。一応予約してあった難波のホテルまでは難なくたどり着けたが、少々街ブラしただけで、飲食店には入らず夕食はコンビニ飯で済ませた(一人の時はいつものこと)。一日そうとう歩いたので疲れ切っていて、早めに眠りにつくことができた。

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上;後香宮神社 下;伏見桃山

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伏見稲荷も初めて訪れた↑↓

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石清水八幡宮

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4月2日 前日コンビニで仕入れたパンとコーヒーで簡単な朝食とし、7時半にチェックアウト、8時半のバスまでまだ人の少ない界隈をぶらぶらし早めにバス停に、知らないところだったので正解で、南海電車ターミナル駅の5Fにあるスイスホテルの前からの発車であった。そこからの乗車は3名で、そのあと大阪駅からは数名の乗客があったがいずれにしろガラガラのバスで、それは高知の室戸岬行きであった(徳島バスのEddy 1号)。わたしはそのバスで阿南というところのまでいった。3200円、これも一か月くらい前に予約購入済みであった。

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大阪駅も初めて↑、↓明石海峡大橋

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この辺からは今回の旅のメインイベント、つまり今回の主目的は前回にやり残していた二周目の四国88ヶ所巡りの最終回と位置付けていた。で、その残っていたところが四国お遍路で二番目の難所(遍路ころがしといわれてい.るところ)で20番21番22番の3ヶ所であったのだが、とりあえずその日は22番平等寺を打って、その脇にある遍路宿山茶花さんにお世話になるつもりで予約を入れてあった。もうすでに歩けなくなって久しい、なので今回は22番→21番→20番の逆打ちで、山茶花さんに近いJRの駅新野までは列車を利用(バスがあいにく新野駅を通らなかったので阿南で降りて、JRに乗り換えた)するつもりだった。ただ、それだと時間をもてあますのがわかったから、今回は時刻表で調べてJRに乗ったついでにその先の木岐という駅までいって一区間だけ由岐まで歩いて(最初の時は山側の道を歩いていたので海側を少しでも歩いてみたかった)、そこから新野に戻る案を考えていた。なぜそんなところへ行こうとしたかといえば、昨年の同じ時期に、同じルートを列車で通った時にあまりにも桜がきれいだったのだが、その時は列車に乗っていたので写真を撮り損ねていた。なので改めて同じ時期に行って今度は下車して写真を撮ろうと思ったわけだが、今年は開花時期がずれていたので、それもうまくいかなかった。いい写真は撮れなかったが、一応予定通りに列車連絡等もでき15時には新野駅に下車、15時半には山茶花さんにチェックインしていた。そこに荷を預けて22番平等寺を打って界隈をうろついて、戻って風呂をいただいて、お接待の洗濯も済ませてあの素晴らしい食事を堪能できたのだった。というのも、前回伺ったとき(数年前)の素晴らしい食事が記憶にあって、ここにはもう一度来ようと決めていたのだけれど、それが暑さのために昨年は断念せざるを得なくなってキャンセルまでしていた。今年はそのお詫び方々なんとしても再訪を実現させたかったのだけれど、ようやくそれは果たすことができ22番も打てたので残すは21番と20番となったわけだが、数年前の体力はなくなっており、果たして次の日最後の山登りをこなせるかどうか、大きな不安材料として残っていた。

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たぶん阿波橘駅か?

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阿波福井駅? ↓2枚;木岐

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田井の浜沖合

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木岐~由岐間を歩く

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由岐の港

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22番平等寺;上下3枚

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界隈を散歩↓八幡神社

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4月3日 今回の出発の一か月くらい前に友人に教えられて、車谷長吉さんの『四国八十八ヶ所感情巡礼』という本を読んでいた。ご老体ながら頑健な肉体の持ち主で88ヶ所を歩き切っているのだが、微笑ましかったのがやたらに野糞をするくだりが出てくるのである。それまでわたしは(88ヶ所巡りでは)その経験がなかったが、早速それを経験することになった。その日のルートは困難が予想され(一度は同じ道を通っているからわかっていたが、今回は逆打ち、しかも身体の衰えが顕著だったから)、まず最初の難関は大根峠を越えてバス通りまで、おおよそ1時間半の道のりだった。山茶花さんを6時半に出発、峠道沿いに建つ遍路小屋あたりから急な山道になり、標高200mの峠越えは思いのほかきつかった。前回通った時は逆コースでこの場合はアプローチが短かったので、楽に越えられた記憶があったのだが、距離が長い分きつく、それに朝食を食べてすぐに歩きだしたので、腹具合もどうもよろしくなく、ついに途中でしゃがむことになったのである。とはいえ、そのあとは歩みも快調になったのだから、ま、山道だったら我慢しない方がいいという、車谷式お遍路はいい教訓になったのであった(そしてそれは次の日もう一度経験することになる)。だが、峠に着いた時点ですでに予定時間を15分もオーバーしており、やはり1時間半では無理かと諦めかけたが、ま、ダメもとで急いで下ることにした。ところが実際はこの下りは思っていた以上に短かったのだ(ある意味地図の読みが浅かったということで、つまり登り1時間、下り30分とみていたところ、登り1時間15分、下り20分だった)。ということでバス停(阿瀬比)に8時5分着、8:12発のバスに乗れたのだった。何度も言ってるが今はもう完全歩きを目指していなかった。いや、もう歩けないことがわかっていた。なので前回は歩いたロープウェー駅まで7km(歩くと2時間)はバスがあることがわかっていたので時間を調べてあった。そのバスを逃すと次は10:42だったから、その場合は歩くしかなかったのだが、その日の予定は大幅の変更せざるを得なかった。が、幸運にもバスに乗れて、おかげで9時のロープウエーにも乗れたので9:15には21番太龍寺(標高600m)に着けた(ここも歩いて登ったら3~4時間くらいかかったと思われる)。

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↓阿瀬比バス停付近

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ロープウェーから南舎心嶽の大師座像 ↓

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山頂ロープウェー駅から ↓

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 21番太龍寺;5枚f:id:dopponotabiroku:20210414183917j:plain

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さて、太龍寺を打って下り始めたのが9:50、以前は歩いて登った厳しい道も下りなので、記憶にあった渓流脇のあずまやまで一気に駆け降りた。そこまで45分、その日は土曜日だったからかその間お遍路さんというより行楽客といった感じのハイカーに何組か出会う。しばしの休憩の後那賀川にかかる水井橋まで一気に下って、すぐに22番鶴林寺への登りにとりつく。この登りも標高差450mあって、最初から結構な勾配があり、まず車道とぶつかるところまでは一気(一息、休みなくという意味)30分くらいでたどり着いたが、もうその時点でばてていた。そこからはさらに傾斜はきつくなり、もう15分おきくらいに休みを入れつつ一歩一歩といった感じの歩みとなる。最初からこの登りは厳しいと予測していたが(以前下った時の記憶があったから)、それでも鶴林寺山頂に12時ころには着けるのではないかという甘い予測だった。実際は車道からしばらく上ったところでどこから聞こえてきた12時を知らせるサイレン?を聞き、そこからが本格的な登りになっていったのだった。いつ果てるとも知らない登り道にようやく鶴林寺の建物が見えたとき、すでに13時を回っていた(たぶん普通の人で水井橋~鶴林寺の登りは1時間半くらいだと思う、わたしは2時間かかった)。20番鶴林寺着が13:10、この日はたまたま土曜日だったので車での参詣客が多く、境内は子供連れの家族でにぎわっていた。納経所で結願報告して最後の御朱印をいただき、住職に一番近い下山道を尋ねると生名まで1時間で下れると帰り道を教えてくれた。それは数年前に歩いて登ってきた道で、1時間で下れるのか心配だったが、この時も15時ころのバスを調べてあったので、1時間で下れるなら間に合うだろうと13:45に出発、ほとんど休みをいれずに一気に下った。バス停生名に14:50着。折から桜が満開で勝浦町の桜まつりが開催されており、少々時間がありそうだったので写真を撮りに行こうとしたら、先に着いていたお遍路さんがやってきて、お祭りのためバス停が変更していると教えてくれ、彼に導かれて臨時のバス停に移動したら写真を撮っている時間がなくなってしまった。それでも当初予定していた15:11のバスに乗れ(当初の予定ではこのバス停には14時ころついて、どこかで食事でもとれるだろうと思っていた)そこから1時間ほどで徳島駅に着いた。予約を入れてあった徳島の宿には16時半にはチェックインでき、この宿も安い割には食事が素晴らしく、満願達成とともに予定通りの進行にことのほかビールがうまかった。

 

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今回わたしは下ってきたのだが、ここはよく覚えていた登山道の入り口  ↑ 

↓2枚も記憶にあった四阿(休憩所)

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このあと写真を撮っている余裕がなくなり、次の写真はいきなり鶴林寺となった ↓ 3枚

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下山路に一ヶ所だけ見晴らしの良いところがあり、歩いてきた水井橋が見えている  ↑

↓ 下山路中間点、水呑大師

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4月4日 この日はほとんど高野山への移動日となる。そして高野山ではこの旅で初めて雨に降られることになった。高野山へのお礼参りは、徳島港和歌山港を結ぶ南海フェリーを利用するのが最も経済的reasonableであることを、昨年知らずに利用して教えられていた。即ち昨年乗船券を購入したとき(その時は関西空港まで購入したのだが)、その乗船券で関西空港または高野山まで行けることを知らされたのだった。それは和歌山港高野山までの南海電車運賃1860円分がお得になるというticketだったのである。ちょっと信じられない驚きで、ならばお礼参りにはこのルートでいくしかないと決めていたのだ。で、その朝は他の宿泊客より30分朝食を早くしてもらい、6時半朝食、7時チェックアウト、7:20のバスで埠頭に、前年に乗ったのと同じ8:00発のフェリーで和歌山へ、ただこの時は小雨交じりだったから船外にも出ず、ほとんど船内のじゅうたん室で本を読んで過ごしていた。和歌山港着10:10で10:23の電車で大阪天下茶屋まで、そこで今度は橋本行の急行に乗り換えた。橋本着は12:20だったが乗り継ぎは悪く50分待ち、外へ出て食事手もしようかと思ったが、あいにくそのticketは途中下車はできないということで(売店にはおにぎりのようなものも売ってなく)なすすべなく次の電車を待った。極楽橋でケーブルカーに乗り換えて高野山着は14:08だった。高野山は3回目だったが、最初に訪れたのはお遍路をやる前、十数年も昔のことでその時はどうやってここまで来たのかもう覚えていなかった。2回目は昨年で、その時は知人と高野山も含むバスのツアーに参加していて、その時は奥の院へもいっていたから巡拝(お礼参り)の仕方、どこへどう行けばよいのかはよわかっていた。なので早速そこからバスで奥の院に向かったが、バスを降りてから雨対策の準備に難儀する。雨でも流石高野山、参詣客はけっこういたが、奥の院の大師御廟で灯明、線香をささげて礼拝している方はほんとに少なかった。燈籠堂地下は立ち入り禁止になっていた。お大師様への報告を済ませ納経所にて最後の御朱印をいただく。雨でも結構いらしてますね、とベテラン達筆の関西のおばちゃん風女性にいったら、とんでもない、去年から参詣客は激減しており昔日の面影はいつ戻るのか、こればっかりはお大師様のお力でもなかなか難しそう‥てなことを言っていたのが面白く感じられた。雨だったからまたバスを使って金剛峯寺まで、金剛峯寺と壇上伽藍は初めての参拝であったが、雨のため写真を撮るのにも苦労する、いずれもうまく撮れなかった。もっとも確認したかったNo1町石の石柱?だったが見つけられず、とりあえずその日の宿がそこから近かったので16時半ころ高野山では珍しいゲストハウス<すずめのかくれんぼ>さんにチェックインした。中年の気さくなご夫妻が数年前に始められたとのこと、造りは洒落ており素敵な宿だった。そこのご主人に次の日予定していた町石道の情報をもらい一番の石柱の場所を確認し、再度写真を撮りに出かける。その宿は素泊まりだったが、同敷地内で居酒屋を経営されていて、そこで夕食をいただき明日のお弁当を頼んだ。親切で明るいご夫婦、設備等は完璧、それでいてreasonableな価格、当たりの宿だった。

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主に桜の写真を撮りたかったのだが、ここも少々時期がずれていたのとあいにくの雨で(それととみに目が悪くなっていて)ボケ写真がなんと多いことよ !?

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極楽橋からのケーブルカー ↓ 奥の院入り口付近

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金剛峯寺;2枚

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↓ 壇上伽藍;2枚 

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↑ GH<すずめのかくれんぼ>さん ↓ ご主人に聞いて再度一番町石を撮りに行く

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4月5日 最終日 

当初の予定では最終日は、登りは無理かもしれないが下りなら町石道を180町慈尊院まで下って、九度山発15時頃の電車に乗れれば、18:20関空発に間に合うのではないかと考えていた。この町石道は前から一度は歩いてみたいと思っていた昔の高野山の参詣道で全長22km標高差8~900m?健脚の人で7時間くらいかかると聞いていた。すでに何度も言っているように、もう山登りは苦しくなってしまったのでせめて下りなら同じくらいの時間をかければ歩けるのではないか、とすると引き算で15マイナス7で8時にでれば間に合う?行けるかもしれない?と皮算用していたのだが、だいぶ疲れも溜まっていたし、雨だったりしてかなり弱気になっていて、どこか途中からエスケープルートはないものかと宿のご主人に(前日に)相談していた。その時親身になって自分の知っている情報及び知り合いの方などにも尋ねてくれ、二つのエスケープルートがあることを教えてくれた。一つはこれはわたしも調べてあったもので、124町石古峠というところから南海高野線上古沢という駅にでるもの(これも行けたかもしれなかったが?)、もう一つはさらに手前の60町石、矢立というところから上古沢駅の一つ上の紀伊細川という駅にでる道があるということだった。その時のわたしの体力では上古沢ルートだと6時間、紀伊細川で3時間半くらいかと思われた。この時は少しでも町石道を歩けたらそれで良しとしようという気になっていたので、紀伊細川駅にでる道を行くつもりで朝の7時ころにチェックアウトする旨告げておいた。チェックアウトは鍵を置いて好きな時に勝手に出て行ってくださいとのことだったので、その朝は6時に起きて、7時には出発するつもりでいた。実際は4時には目を覚ましたのだが、その時トイレに行こうとしたら、腰に激痛が走って歩くことがままならなくなっていた。なんとか壁を伝ってそろりそろりと階段を降り、用を足してまた這うようにして登ってようやくベッドに戻ったが、しばらくは身動きがとれなかった。まずいことになった、どうしよう、歩けそうもない‥じっとしているしかなかったのだ。どうしたらよいか迷いつつ眠れないまま6時ころから恐る恐る起きだして時間をかけてパッキングを済ませ、届いていたお弁当をしまって、再び怖い階段を降り洗面を済ませ(洗面・トイレの階段と入り口に通じる階段が別だった)もう一度階段を登って荷物を取って、少し休んでから下に降りた。ちょうど7時ころ黙ってチェックアウト、外に出るとストックがあったので歩くのは少し楽になった。人通りも交通量も全くない通りを大門に向かう。幸い雨は上がっていたが靄っていた。大門のすぐ前に町石道の案内があり、その道をすぐに見つけることができるのか心配だったが、それは簡単だった。そこからは山道がずっと下って続いていて、そこにたぶん9町石は確認できたが、それまでのあったはずの2~8町石は見逃してしまっていた。相変わらず腰痛はあったので今更戻る気になれずそのまま町石道を下ることにした。最初だけちょっと急な下りだったがそのあとはなだらかな道になって、どんどん町石が出てきた。一町が109mとのことだったので、そういう意味では次から次に現れて、それに導かれるように、ゆっくりながら歩みは進んだ。もっともこれは下りだったからで、逆コース(本来のコース)はいくら歩きやすい道だったとはいえ、それほど楽ではなかったかもしれない。道はきちんと整備されておりアップダウンも少なく、木々に囲まれ森閑として(たまたま月曜だったこともあって)わたしの目指した矢立まで誰にも会うことなく、歩くに従って腰痛も少しづつ和らいできて快適な?ハイキングとなった。途中一ヶ所国道480号線を横切るところがあって、本来は数十m国道を歩くのだが、案内表示がわかりにくく左展望台と書かれていたのでそっちへ登ってしまった。そこは休憩所になっていて、展望いまいちながら、そこまで1時間半歩き続けていたので小休止にはちょうど良かった。ついでに前日に引き続いて小藪で大の第2弾を残してきた。その辺りで30分くらいもたもたしてしまったので、国道を横切って再び山道を下り矢立というところに着いた頃にはすでに10時に近かった。それでも時間はたっぷりあったが、そこから古峠に向かう道は笠木峠という峠越えがあって道が登り坂になっていたので、今回はパスして予定通りそこで町石道を外れ、軽自動車ならなんとかすれ違いができる程度の道幅の舗装道を紀伊細川に向けて下っていった。ところどころにポツンと民家があり、廃校になった小学校など、住むには厳しそうな山間の村の道を人にも車に出会うこともなく40分くらい下ってようやく駅下の道にでたが、駅ははるかに上の方にあって、そこから駅のまで数十mの登りに15分?くらいかかった。紀伊細川駅到着が10:50で、次の電車が10:56だったので、ま、抜群のタイミングだったわけだが、この時はそれでいったとしても空港で4時間くらい時間をもてあますことになったから、それほど幸運というわけでもなかったのだ。その電車は南海電鉄難波直通の急行で天下茶屋乗り換えで関西空港には13:08の到着だった。わたしの便のチェックインまで3時間近くあったが、その前にも同じ会社のフライトがあって、いくらプラスしたらそれに乗れるか聞いてみたら、プラス3000円ということだった。今のわたしは3000円払って3時間早くついても何のメリットもなかったから、そのまま変更せず4時間待ちを選択した。おかげで作ってもらったお弁当をゆっくり食べられたし、mailのチェック、本読み、そして疲れをゆっくり癒すことができ、楽しく旅の振り返りもできたのであった。満身創痍ながら、何とか無事に帰宅できそうだったので、安堵感・達成感に浸っていたら、その時間はそれほど長くは感じられなかったのであった。

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↑ 宿を出たところにあったのはたぶん3町石??

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大門は靄にかすんでいた ↑ ↓ 

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ちょうど大門の正面辺りから参道は続いていた ↓

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一応すべての町石を撮影したが、写真ではどれが何番かはっきりしない、町石道の感じをつかんでいただければと思って何枚か載せておいた、以下~

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国道との出会い、右に国道が通っていたが、左の展望台まで登ってみた ↑  ↓ 展望台

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戻って数十m国道を歩いて、すぐまた右に入って町石道を下る

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六地蔵というところ  ↓ 

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大門から休憩等を入れて2時間半かかって矢立 60町石着 ↓ そこから紀伊細川にでる細い歩道を下っていく 

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↓ 西細川小学校 廃校?

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紀伊細川駅下に到着、駅はここから急な登り12~3分

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↑ ↓ 紀伊細川駅界隈 

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関西国際空港はガラガラだった ↑ ↓もう少し早い離陸だつたかいったん沈んだ太陽を拝めたかもしれなかった(有料の座席指定にはしなかったのだが、珍しく窓際の席だった)

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