いかにも往生際が悪いというか、わたしはこれまで何回か最後の旅と謳って旅たってきたが、少なくともグアテマラに関しては去年が最後のつもりでいたのは確かで、何せ中米はやはり遠いので費用はかかるし、体力的にもしんどくなっていたのは事実だったから、今年まさかのuna vez mas(もう一度)は全く意図していなかったのである。それがどういう経緯でこういうことになったか?事の発端は昨年の世界一周旅のネパール篇辺りまで遡れるかもしれない・・どういうことかというと、ほんとに単なる知人で友人でしかない女性(Iさん 、単なる飲み友達です、このあとすぐにそれはわかる)、ネパールの旅をご一緒した彼女が、去年の秋ころ突然今度はグアテマラにいきたいと言い出したのでした。しかも彼氏同伴で・・と、、要はグアテマラ案内のリクエストでした。もちろん彼女はわたしのグアテマラ愛を知ってのことで、まず、決してわたしは断らないだろうということも想定内だったかもしれない。そう(わたしはフリーだったし暇をもてあましている身であることもわかっていて)わたしは逆にもう一度グアテに行ける口実ができたと喜んで引き受けたのでした。それから約3か月かけてルートと日程決め、航空券と宿の予約等全ての準備を整えて出発したのが我々2月12日、Iさんカップルは2月の13日でした。さて、この我々というのは、いや一人旅ならともかくグループでゆく旅の経験がほとんどないわたしは、さすがにカップルに当てられっ放しの旅には耐えられそうもないと急遽相棒探しをして、同年代のおっさんを誘い、まずはグアテマラ4人旅となったのでした。まだ現役の勤め人である若い彼らは10日間の休暇が限度(なのでいけるところは限られてしまった)、そして俄か相棒のおっさん(実はわたしの義兄で)年齢はわたしと同じ(二人合わせると152歳)、ただ体力・若さ・資力はわたしをはるかに凌駕していて好奇心も旺盛、ま、旅は道連れ世は情けなのだが、言葉もわからないところでは世の情けも通じないということがわかっていないおっさんだったので勝手ながらこの旅録にはあまり登場しないことをお断りしておきます。そんなんでグアテマラ4人旅はほとんどは同じ宿の別室で過ごすことになったが、近くの別宿に部屋をとることも何回かあったりで、基本的に行動はともにし食事もともにするという、わたしはあまり経験のない旅でしたが、それはそれで楽しい旅になったのでした。
で、グアテマラ10日間でどこを回ったかというと、概略ですが定番ルートというかすべてわたしが勝手に決めてしまったのだけれど、2/13,14はAntigua/P.Tashiro泊、Antigua街ブラ、2/15 Panajachelパナハチェル泊、2/16 San Antonio Palopo,San Pedro泊、2/17 San Juan ,San Pedro泊 2/18 Antiguaに戻る 2/18,19はP.Tashiro泊、2/20 Floresフローレスに飛ぶ、2/20,21はフローレス泊、2/21世界遺産 Tikal遺跡、2/22Guateに戻り、我々おっさん二人は若い二人をLa Aurora international airportで見送ってから、この『 hasta Nicaragua ニカラグアまで 』この旅の後半が始まることになります。ということでこれまでグアテマラの記事は何回も書いているので割愛させていたたき、中米陸路の旅録を何回かに分けてお届けしようと思ってます。乞うご期待と言いたいところですが、前から申し上げているように、文章も写真も年相応に呆けてますので、もう誰も期待はされていないでしょう、それで正解です ! !
そう、幸いその時調べた緊急病院international medical centerには9時前には到着したと思う、小さな町医者(clinic?)で待っている患者もおらずドクターはすぐに診察してくれた。症状も英語で説明できたので、このDocはすぐに適切な処置を施してくれたが、症状が改善することはなかった、が、このDocは正確に状態を診断され、自分のところでは無理だが、すぐに行くべき病院を教えてくれ、かつ、その病院に連絡してくれ、わたしの診断結果を伝えて今からそちらにタクシーで向かわせる旨手配をしてくれたのだった。こうした善意のリレーによって10分後にはタクシーでその病院に到着し(もちろん彼女ら二人も同行してくれていた)緊急診断、緊急処置、緊急検査ののち(75年間入院した経験のなかった)わたしは晴れて?生涯初の入院をネパール/ポカラで経験することになったのであった(まったく自慢にならないことをのうのうと書いてますが、その結果がよかったからである)。その時の診断結果は、日本語では前立腺肥大症というもので、それを聞いてわたしは、そういうことだったのかと初めて納得がいったのであった。
次の日朝一番で出かけた先は椅子一つテーブル一つのオフィス、すでに顔なじみになっていたTravel Agencyの若い社員の出社を待っていた。やってきた彼に今夜のバスでPuneに向かうからと発券をお願いし(600Rpだった)、そのあともう一度Old Goaに向かったのだった。先発隊の彼女の何日か前のlineに<Old Goaのお勧めはAugustinian Convent>とあったのがずっと気になっていて、確かにOld Goaは中途半端にしか見てなかったので、できればもう一回行ってみるかと思っていたのと(あとは夕方まで、その時いってみたいところも特にやらなければやらなければならないこともなかったのとバス代は20R=35円だったし)、更にこの時は今一度Old Goaの土産物屋兼レストランでWiFiチェックをしなければ、というのが大きかったのであった。すでにOld Goaに着いた時はゆっくり歩き回るには暑い時間になっていて、最初に前日外から写真だけは撮ってあったChurch of St. Assisi 聖フランシス教会の内部とその周りを徘徊してから、その存在を知らずにいた土産物屋兼レストランのわきの道を探りあて、少し登り気味の道を登っていった。その道を10分ほどたどると左側にまずChurch and Convent of St. John of God教会があって、その背後の丘にはSt.Augustine Tower 聖オーガスティン教会の廃墟跡、道路を挟んだ向かいにはConvent of Santa Monica 現役の修道院があって、さらにその奥にはChurch of Our Lady of the Rosaryという廃墟に近い教会だが、それはそれは素晴らしい立地に建てられた昔の教会が建っていたのだった。いや、わたしがお粗末すぎたのだった、いくらガイドブックも情報も持っていなかったとはいえ、この辺りがOld GoaのOld Goaたる所以、Basilica Bon Jesusを含めての世界遺産たる所以だったのだと思う。それに気づかずに、暑さを理由にはしたくないが、これで世界遺産?と勘違いして帰ってしまった初日が我ながら情けなかった。この時もその反省を交えて、前回の土産物屋兼レストランに赴いて、そこには二日前の若いお兄ちゃんもいて何も注文せずWiFiだけのチェックだけでもいいといってくれたが、再びビールと某かの食べ物とを注文して、小一時間休憩とラインのチェックをさせてもらったのであった。